ヤングタウン東京(ヤングタウンとうきょう)とはTBSラジオで放送されていた人気番組である。
放送時間は毎週土曜日の21:30〜23:30で、東京都港区赤坂のTBS社屋内にあったTBSホールで公開生放送が行われ、キャンディーズの出演も多かった。
もっぱら「ヤンタン」と称され、「土曜の夜は?」「ヤンタンとうきょう〜」という掛け声は若者層に浸透していた。


キャンディーズが大ブレイクした昭和50年、メイン司会者は桂三枝が務めており、アシスタント的存在として小島一慶、マリ・クリスチーヌが居た。 夏にはメインが毒蝮三太夫に変更。紳士的な対応をしていた三枝に比べ、ワイルドな言動だった毒蝮は若者たちからの反発をかっていた。

キャンディーズに対する時、特にスーちゃんへのセクハラまがい?の発言や行動が目立ち、その度に大ブーイングが起きていた。 キャンファンの中には毒蝮を本気で憎む者も居たくらいである。

ヤングタウンTOKYOの観覧にはTBSホール前で配布される整理券が必要とされた。 当時の公開放送では事前に往復ハガキで観覧申し込みを出し、返信ハガキにて入場の可否を確認するシステムが一般的であった。 ヤンタンではこの手続きが不要で、放送当日の朝(9時か10時だったと記憶…)にTBSホールへ行って整理券を取得すれば観覧することが出来た。 ゲストによっては整理券を求める客が長蛇の列をなし、前夜から並ぶ徹夜組も珍しくは無かった。

キャンディーズが出演する場合は100%徹夜の行列が出来ていた。 当時結成間もない私設ファングループスーパーキャンディーズはヤンタンの常連であり、行列の最前部を陣取っていることが多かった。

公開放送への入場は整理券番号順に行われていた。 TBSホールの収容人員は約400名。 自由席だったため、当然整理券の番号が若いほど良席を得られた。 しかしながら自由席というメリットを生かし、若番で入場した先行隊が上着や荷物で余分に座席を確保し、後から入場して来た仲間に与えるという作戦も横行していた。 特に厚着となる冬季間ではマフラーなどが活躍し(笑)一人で数名分の座席を取る手法も全く当たり前のように行われていた。

キャンディーズの出演は番組の最後を飾ることが殆どであった。

終演後、キャンディーズは必ず東京無線のタクシー3台に分乗して帰宅した。 これを追跡するバイク隊はスーパーキャンディーズの面々であった。

渡辺プロ側はこれらの追跡や「出待ち」から防御するため、カムフラージュの東京無線タクシー3台を楽屋口に横付けし、ファンの気を引きつつ当のメンバーたちは別の出口から帰らせる、という作戦に出た。

ファンとしては当初は困惑したものの、バイク隊は各出口に分散して待ち伏せをし(笑)運が良かった者だけが追跡できたという「別の楽しみ方」も発生した。

毒蝮のメイン司会は昭和52年までで、後継は故鈴木ヒロミツが担当した。

5.出典、参考文献


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Last-modified: 2019-11-24 (日) 13:40:30