キャンディーズタイムズ 1977年3月10日 第6号

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キャンディーズファンクラブ全国支部機関紙

The Candies Times 第6号

編集/発行 キャンディーズタイムズ編集局 協力/渡辺プロ友の会キャンディーズファンクラブ 印刷/豊玉印刷株式会社


特集!! キャンディーズ その誕生から現在まで…

46年 伊藤蘭、藤村美樹、田中好子、スクールメイツのメンバーとなる。
47年4月 NHKテレビ「歌謡グランドショー」のアシスタントになる。
 スクールメイツの中からピックアップされた三人は、この番組で初めて「キャンディーズ」と名付けられ芸能界にデビュー。なお「歌謡グランドショー」は後に「歌のゴールデンステージ」となり、通算で2年間キャンディーズのアシスタントは続く。
47年10月 スー、NTV「突撃!ヒューマン!!」に出演。
 夏夕介主演の公開による子供向け怪獣SF物である同番組に約3ヶ月間出演。
48年4月 TBS「8時だよ!全員集合」にキャンディーズはアシスタントとしてレギュラー出演。
 現在も続いている「全員集合」を知らない人はいないだろう。現在のキャンディーズは、この番組なしでは語ることができない。ドリフとのコントを通してキャンディーズは、今の芸能界では特異とも思える程のユーモア性、気どりのなさを身につけたと言えよう。
48年9月1日 「あなたに夢中」でレコードデビュー。
 歌謡グランドショー出演以来、レコードデビューの話は何度かあったのだがその度に延期されていた。グループ結成以来1年半のこの日ついにCBSソニーレコード専属でレコードが発売されたのである。
48年9月24日 東京銀座山野楽器店において初のサイン会。
 「あなたに夢中」のレコードを買うと、サイン色紙と、キャンディー一箱がもらえた。
48年10月10日 初のパスハイク ファンの集い。
 「あなたに夢中」のキャンペーンを兼ね、相模湖ピクニックランドへ、バス2台100名のファンと共にバスハイク。文化放送とのタイアップのため参加者はラジオを通じて募集した。
48年12月5日 初LP「内気なキャンディーズ」発表。
 初LPらしくA面がオリジナルでB面が郷ひろみ、天地真里他の曲で構成されている。テーマ曲「キャンディーズ」が好評。
48年12月 キャンディーズニュースNO1発行。
 9月1日のレコードデビューと同時に発足したファンクラブから初めての会報というべき「キャンディーズニュース」が、友の会より発行された。内容はファーストLPのレコーディング風景。インタビュー記事。ミニニュースなど。
49年1月21日 「そよ風のくちづけ」発表
 その時の批評を月刊明星から書き抜いてみると… E氏・順調に育って来たが、この曲も明るく素直に歌っているようだ。H氏・ハーモニーも手馴れて来た。それに振りが加わると効果的だ。K氏・相変わらずカワイイですナ、みんな。歌もカワイイけど、そのあとがない。S氏・軽快なのはけっこうだけど、後に何も残らないのはソンだ。
49年1月27日 西銀座メイツにてファンの集い。
 「そよ風のくちづけ」の発表記念に集いが催されたがこの日はキャンディーズが「キャンディーズカンパニー」の社長、ファンがその社員という主旨のものに集いが行われたのである。
49年3月17日 キャンディーズ初のコンサート行われる。
 このコンサートを御覧になった方が「タイムズ」の読者に一体何人おられるだろうか。会場の山野ホールはキャパシティ800である。キャンディーズがデビュー後初めてのぞんだこのコンサートは、三人にとってもファンにとっても、レコードデビューとはまた違った意味でのスタートであったと言えるであろう。現在のステージの熱狂と比べるとまったく異質のようで実は何も変わっていない。ステージに賭ける意気込み、生の観客にむけての歌うことの素晴らしさをキャンディーズはここに発見するのである。
入場料A席千円、B席八百円、入場者数800人。
49年3月21日 太海フラワーセンターにてファンの集い。
 (バス1台)
49年3月27日 ファンと共に与論島へ。
 前年10月キャンディーズの3人は月刊明星の取材で与論島へ行ったが、その誌上でこの3月に与論島へファンを招待することを告知。抽選で参加者を決めたのであるが自費参加も認められた。与論の青い海での撮影会、宿舎での交歓会などを行う。
49年4月21日 「危い土曜日」発表。
49年5月16日 第3回東京音楽祭シルバーカナリー賞選出大会エントリー。
 残念ながら、日比谷公会堂で行われたこの大会に三人は出場しただけで賞はもらえなかった。
49年5月26日 大阪ファンの集い。
49年5月31日 西銀座ミュージックスポット「メイツ」に初出演。
 もともと若いサラリーマン向きの音楽スナックにキャンディーズは初出演した。夜6時開始。一回7〜8曲40分程のショーを一晩に三回行う。千円分の飲食コインを含み入場料2千円は現在も変わっていない。ファンクラプにとってはこのメイツ出演は重要な意味をもつ、というのは、その後毎月一回の定期出演によりメイツで顔なじみになったファンが結束。頭初は数人のグループであった関東支部の前身東京支部結成に始まり「全国キャンディーズ連盟」に至る道のりに、このメイツはかかせない集会所であったのでありこれは将来においても言える事であると確信する。
49年6月21日 LP「キャンディーズの世界」発表。
49年6月 TVコマーシャル初出演。
 一つは旭化成のハイソックス<レオナ66> もう一つはローカル局だが広島のレジャーランド<ナタリー>のCF
49年6月25日 キャンディーズニュースNO2発行。
 ファンクラブ誌第2号としてカラー印刷による6ページのもの。前号から半年以上たっての発行だがこの頃はまだ正式に会報として出されたのではなく、ファンクラプ誌であると同時にマスコミ向けの宣伝パンフレットの役割ももっていたのである(なお現在はNO1,NO2共に一部も残っていない)
49年7月25日 大阪郵便貯金ホールにて初リサイタル。

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CANDIES!!
その栄光への歩み

 3月の東京でのショーに続きキャンディーズ2回目のステージ。2回公演の予定がチケットが売れないために一回になった上、会場は6分の入りという、今では考えられないようなショーであった。しかし内容は三人の出会いを描いたミニミュージカルを演じるといったように山野ホールとは確段の進歩があった。東京から参加費7千5百でショー応援のバスツアーを行い終演後キャンディーズと会食した。入場料一般千円、会員8百円。
49年9月1日 「なみだの季節」発表。
 この日は銀座三越屋上において新曲発表会が行われた。会の途中から雨がふり始まったが一人も帰らず。静かにではあるが確実に大きくなっていくキャンディーズが感じられた。
49年10月10日 みかん狩りバスツアー
 前年と同じく文化放送とのタイアップにより浜松・サンマルコ農場へパス2台で出発。初めの予定ではぶどう狩りツアーだったがみかん狩りに変更。
49年11月1日 一日自衛隊艦長 陸上自衛隊護衛艦「あやせ」
※(誤)護衛艦艦長が正しい
※(誤)海上自衛隊が正しい
 立20周年記念プログラムの一環として企画されたもの。
49年11月10日 キャンディーズファンクラブ会報第一号発行。
 会員数2千人を越し、ここに正式に(定期的に)会報を出すこととなる。16ページの小冊子。
49年12月10日 LP「涙の季節」発表。
49年12月24日 東京築地中央会館・白いコンサート。
※(誤)東銀座中央会館が正しい
 7月の大阪リサイタルの内容を一部脚色しなおし、東京で公演を行った。キャパシティ400人。2回公演であった。このショーではじめてファンクラプ創作のパンフレットが発行されたのも話題だったが、忘れてはならぬ重要な事が一つある。あの「年下の男の子」を初めて披露したのがこのショーなのだ。それがいかに出来たてのホヤホヤであると感じさせるのは、プログラムには「年下の男の子」とは掲載されず「2月発表新曲」となっていたことである。当日会場でこの年下の男の子を耳にしたファン全員が曲のよさ、キャンディーズにフィットとしたメロディーに感激したものである。いうまでもなく、この曲はキャンディーズにとって忘れられない思い出の曲となったのである。
第一部/キャンディーズのテーマ/オリジナルメドレー・あなたに夢中・そよ風のくちづけ・危い土曜日/バスストップ/小さな悪魔/間抜けなキューピット。ミニミュージカル/友達なんか欲しくない/ともだち/見上げてごらん夜の星を/ママに捧げる唄/帰らざる日のために。
第二部/スピニングウィル/キャンディーズのサイモンセズ/落葉の物語/ベッドで煙草は吸わないで/積木の部屋/74年ヒットパレード/精霊流し/ビークル/セイママ/シュガーベイビーラブ/さよならは突然に/白い想い出/清しこの夜/サンタが街へやってくる/ジングルベル/老人のクリスマス(ありま双兵)/桜草の悲しみ/はぐれた小鳩/なみだの季節/年下の男の子/アイビリーブインミュージック/風。 出演/キャンディーズ。ゲスト/ありま双兵。演奏/浜田豊光とブルーソックスオーケストラ。音楽/森岡賢一郎。ステージング/三浦亨。音響/前原芙美雄。照明/青木啓夫。美術/遠田静雄。舞台監督/笠原正樹。
50年1月14日〜21日 日劇ドリフショーにゲスト出演。
 この時のメインゲストはアグネスチャンであり、キャンディーズは第2ゲストだった。プログラムの表紙にはもちろんのっていなかった。
50年2月 ヤング2月号の表紙を飾る。
 キャンディーズが初めてヤングの表紙になったのがこの2月号である。
50年2月21日 「年下の男の子」発表。
 期待の新曲「年下の男の子」の前評判は圧倒的に高く発売日を待たずして巷にはこの曲が流れていたのである。
50年3月2日 年下の男の子ヒット記念皇居一周マラソン大会。
 ファン・キャンディーズが皇居一周マラソンにチャレンジ。キャンディーズは3人共無事完走することができた。約5キロを走ったことになるが3人のがんばりには脱帽させられた。
50年3月17日 「年下−」オリコンベスト10へ初登場。
 期待通り「年下−」は権威ある音楽業界誌ベスト10にランクされ、ここにキャンディーズは大きな前進をする。
50年4月27日 東京・文京公会堂でコンサート。
 年下の男の子の大ヒットにより人気が急上昇したキャンディーズは4ヶ月ぶりにショーを開く。会場は超満員。用意した800部のプログラムはすぐ売り切れ。このショーのラストで支部による紙のミニパラシュートが2階からふるという演出が試みられた。なおこのコンサートでのみ歌われその後の全くファンの耳にふれていない曲があるのでその曲名を記しておく。
キャンディーズの楽屋ばなしは楽しいよ!/愉快な三人の歌/冒険させる事の好きな女の歌/のら犬の歌/無趣味が趣味な女の歌/はげましの歌/なぞなぞのなぞはなぞだぞの歌/そんなのカンタンの歌。
演奏/山本ユキオとアフロラティーズ。入場料S=2000円 A=1800円 B=1500円 C=1000円。
50年5月1日〜7日 国際劇場ドリフターズショーにゲスト出演。
50年6月1日 「内気なあいつ」発売。
50年6月 写真集「キャンディーズの世界」発売。
 文京公会堂のショーや日常のキャンディーズの写真による構成である。価格は900円。
50年6月14日〜15日 「内気なあいつ」発表キャンペーンバスツアー。
 新潟県岩原高原スキー場へ「わらび採りと運動会」と題して約3百人のファンが参加。土曜日深夜東

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京を出発し車中泊。翌日現地で、運動会、わらび採り、撮影会を行った。キャンディーズとファンのつながりはこういった催し物によってより深くつながっていったのは過去をふりかえってみても明らかである。常にファンの参加するイベントが行われているのだ。そういった参加意識の盛り上がりは、カーニバルなどショーにおける形の上での盛り上がりと無縁なものではない。それらが延長線上にある。全く同一のものであることはキャンディーズとファンの歩みを見れば明らかな事なのだ。
50年8月15日 広島郵便貯金ホールで初の地方公演。
 前出のナタリーのCMやナタリーにおいての歌謡ショーにより広島のキャンディーズの人気には目をみはるものがあった。その為に初の公演地として広島が選ばれたが客は6分の入り。
50年8月17日 大阪フェスティバルホールコンサート。
 この夏のショーはこの後のウェスタンカーニバル(日劇)も含めて外国曲を多く歌うというように、内容面で大きく前進しようとするキャンディーズの姿勢が感じられたがそれを消化しきってはいなかった。その辺がファンに疑問を持たせることになり、内容面に限って言えば満足とはいえなかったのである。フェスへは関東支部がバス2台を連ねて大阪へ乗り込み、紙テープ千本を投げるなど、必死の応援をした。それはキャンディーズショーを盛り上げようという”使命感に燃えて”の行動でありむやみやたらとさわいだわけではなかった。よく感ちがいするファンがいるのだが、かけ声、声援は一人でやってはダメなのだ。会場中のファンが一斉に声を合わせなければ雑音にすぎないのである。キチンとした声援はこれから先も続けるべきだと考えるが、そこには一つのルールが存在することを忘れてはならない。
50年8月26日 日劇ウェスタンカーニバルキャンディーズショー。
 現在もキャンディーズのバックバンドを努めるMMPが初めて共演したのがこの日劇である。内容的には広島・大阪とほとんど同じものだがバンドが今までのフルバンドと違ったので賛否両論巻き起こった。
50年9月1日 「その気にさせないで」発売。
 ジャケット写真が評伴になったシングルである。6月のまだ冷たい夜の海で撮影したもので、その際スーが波にさらわれそうになるアクシデントが行ったため、三人の表情にはある特別な雰囲気が感じとれる。大人っぽく成長したキャンディーズが感じられた新傾向のシングルであった。
50年9月1日 キャンディーズカーニバル実行委員会発足。
 国技館前に大学生が集合しデモンストレーション。
50年9月 全国支部続々と名のり。
 関東支部に続け!と全国にも支部が次々生まれていったのがこの頃である。関西支部、広島支部、九州支部、東北支部、北陸支部、中部支部など。
50年10月19日 第一回蔵前国技館カーニバル。
 なんといっても今日のキャンディーズはこのカーニバルをきっかけにそれまでとは全く違う可能性を見つけ出したことは否定できない、夏のショーで試みた事が身についたと感じさせたし、ファンの熱狂度、興奮度、ショーのスケール、すべてが前代未聞の出来事であった可愛いキャンディーズだけではない、ある面では非常に攻撃的ともいえるステージが完成したのである。キャンディーズの評価はここに安定した地位を得ることになる。
50年11月25日 NHK紅白出場記念パーティー。
 「ハートのエースが出てこない」の発売記念と共に紅白歌合戦出場祝賀パーティーが、全国支部代表を集めてメイツで行われた。
50年12月5日 「ハートのエースが出てこない」発売

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50年12月21日 初ライブ「キャンディーズ10000人カーニバル」発売。
 カーニバルに参加できなかった地方のファンにとってこれ以上うれしいLPはない。会場の雰囲気がそのまま伝わってくるのだ。B面の最初のランの語りに思わず涙ぐむファンも少なくない。
50年12月26日 75年ありがとうコンサート。
 大妻講堂でのファンクラブ主催のショーということで変わった企画が打ち出された。一つは白いコンサートで行ったようなミニミュージカル「青春の真中」の上演、会場のファン全員との握手会、スタッフの挨拶など、今もって心に残っているファンが多い。キャンディーズの暖かさを感じたふれあいのコンサートであった。
50年12月31日 NHK紅白歌合戦出場。
 曲は「年下の男の子」9時30分ちょうどに歌っていたことを思い出す。衣装はピンクのミニ。
51年1月14〜20日 日劇ドリフターズショーにゲスト出演。
 前年と違いメインゲストとして向かえられた。あいざき進也プラスMMPと一緒に30分間程度のスペシャルショーを披露。
51年2月14日 第一回ファンクラブセミナー。
 テーマは「あの春一番をベスト1にしよう!」期待曲「春一番」のシングルカットが決まり、これをなんとか大ヒットさせようと、全国の支部代表者を集めスタッフとミーティングを行った。北海道を除き、すべての支部代表が東京代々木・オリンピック記念青少年総合センターに集まり意見を交歓した。この日の結果は、支部単位で集会を開き、会員全員に徹底される事を決議。
51年2月28日 第一回 関東支部総会。
 14日のセミナーを受けて、支部単位の総会が東京で行われた。参加者数300人、大リクエスト作戦を展開し「春一番」のヒットをねらうと共に、ファン同志の結束を固めた。
51年3月1日 「春一番」発売。期待通り「春一番」は大ヒット!
 もうすぐはーるですね…は流行語となる。この曲はスタンダードナンバーとして定着している。来年もさ来年も春にはこの曲がラジオやテレビに流れるのである。
51年3月27日 TBSラジオ電リク29時マラソンDJに挑戦。
 午前1時から午前5時まで全くのナマ放送によるディスクジョッキーに挑戦しみごと完走した。放送中の電話リクエスト、さらには、放送後近くの公園でファン300人ラジオ体操するなどキャンディーズ大活躍の一夜であった。
51年3月29日〜31日 初の日劇長期公演・ミュージカルスタンバイOK上演。
 この日劇公演も又、その後のキャンディーズに影響を与える大きなステージになった。まず「スタンバイOK」だが、実際にプロの俳優と共演することにより演技というものを3人がハダで学んだということ。そしてこれを皮切りに、初めて全国縦断コンサートの旅に


出たということである。ミュージカルの内容は、タレントの卵であるゲラ(ラン)プック(スー)ポッチ(ミキ)の三人を影から支えてくれた足の悪い”照明のお兄ちゃん”を、今度は逆に三人が勇気づけ、足の手術を受けさせる。という感動的ながらもユーモアを忘れさせないストーリーである。プロの役者のキラリと光る演技とキャンディーズの個性溢れるステージに満足感を憶えたことだろう。なか日は交通ストにあたり客の入りが心配されたがあけてみると超満員。三日間通しても全く空席は見られなかったのである。
作/小山内美江子、演出/加藤盟、振付/西条満、作詞/森雪之丞、作曲/小六禮次郎、美術/阿部信行、共演、青年/塚田記久、青年の姉/瀬畑佳代子、おじさん/ディーブ平尾、劇団の仲間/大和田信/和田健一郎/竹中好徳/沢村尚志/浜野良/富島健之/岡田晴雄/池田辰巳。
51年4月 キャンディーズタイムス全国支部機関紙として発刊。
 それまで関東支部会報であったタイムズを全国支部の機関紙として発刊して行くことになった。その時の発行主旨をもう一度ここに掲げておきたい。なぜ全国支部の機関紙を出すのか − いうまでもなくそれはキャンディーズファン同志の結束をより以上強くすること、キャンディーズに接する機会の少ない地方の会員の為に情報を提供し、全国のファンが同じレベルでキャンディーズについて「考え」「発言し」「行動する」為です。キャンディーズのファンだったら、ただテレビを見、レコードを買う事だけではなく、キャンディーズの為に何かしてあげたいと思うのは当然の事だと思います。しかし一人一人がばらばらにそう考えても何もできませんし、仮にできたとしても小さな力にしかなりません。ファン同志が集まって、それも数10人のグループではなく、全国の会員が一つになってキャンディーズを応援するからこそ大きな力になることができるのです。まじめにキャンディーズを応援しようと思っているファンを一人でも多く見つけたい、そして会員みんながこの機関紙を通して、今ファンとして何をすべきかを考え、キャンディーズが大きく成長して行くのと共に僕達ファンも成長して行きたいと思うのです。またキャンディーズタイムズは、ファンのファンによるファンの為の新聞です。会員全員が何らかの形で新聞作りに参加することを理想としています。
 「タレントのファン」に対する世間一般の目は冷ややかなものがあります。キャンディーズを追いかけ、コンサートで名前を呼ぶだけだったらそれが当然なのです。ファンクラブとはキャンディーズを通して知り合った者同士が真の意味で友達になることです。ファンだけで何かしたり、青春や友情について語り合うことができたら素晴らしい。と思います。日本中の人達と友達になれる。これはファンクラブだからこそ出来る事です。仲間を作ること、友達を増やすこと、機関紙発刊のもう一つの目的(結局それはキャンディーズを応援する最大の力となるのですが)それはそんな所にあります。
51年4月1日 LP「春一番」発表。
 春風のさわやかさを感じさせるこのLPのなかでも出色は「恋のあやつり人形」である。誌のテーマ、曲、振り、三拍子そろったこの曲をシングルカットして欲しいという声が多い。支部アンケートでも好きな曲は「恋のあやつり人形」をあげるものは「春一番」に次いで多く「年下−」よりも上であった。
51年5月31日 「夏が来た」発表。
51年6月20日 第5回東京音楽祭国内ゴールデンスター賞。
 メインイベントである世界大会出場資格はゴールデンカナリー賞受賞者であってこのスター賞はいうなれば次点ということである。いつかは世界大会へと思いがつのる。
51年6月20日 文化放送「GO!GO!キャンディーズ」只今花嫁修業中オンエア。
51年7月2日 日本短波キャンディーズ情報局スタート。
 夏の縦断コンサートが「サマージャック」とネーミングされ夏のキャンディーズのスケジュールを全て公表してしまうというスゴイ企画である。毎日秒動の交通機関、ホテルまで電波で流した。地方のファンにとってはこれ以上ありがたい企画はなかったであろう。

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51年7月18日 サマージャック76オープニング。札幌へジェットツアー。
 「夏が来た」のキャンペーン、そしてサマージャック76オープニングの大イベントとして企画されたが、ファン250名は参加費3万円を払い札幌へ、キャンディーズの衣裳、通称「宇宙服」にビックリしたファンが多かった。一つの事故もなく翌日東京へ帰って来た。札幌の成功は、サマージャック76全体の成功を思わせたのである。
51年8月1日〜4日 大阪初の長期公演、梅田コマ劇場出演。
 サマージャックの一公演ではあるが梅コマの為に「スタンバイOK」の内容を更に改善し上演した。初日は東京からバスでファンが大阪へ。
51年8月15日 三保文化ランドへバスツアー応援。
 サマージャックのメダマである野外コンサートへバス5台で参加。その名も「三保文化ランドを占領せよ!」バスツアー。ショーの終演近く激しい雨に見舞われ全員ズブぬれ。しかしショーは興奮の度合いを増して行った。なおこのサマージャックは野外公演の際に各地からバスツアーが組まれ、京都へは中部支部が「京都に乗り込め!」岡山金山休暇村へは中国支部が「ターゲットは休暇村!」梅コマへは前出のように東京から「梅田コマに嵐を呼べ!」というネーミングにふさわしい強烈なタイトルがつけられた。
51年8月22日 全キャン連、カーニバルに向けて旗上げ
 オリンピックセンター400名が結集しカーニバル成功へのミーティングを行った。この後もカーニバルまで2週間ごとに会を開きポスター貼り、チラシまき、チケット販売方法などについてディスカッションを行う。
51年10月10日 「キャンディーズカーニバル前夜祭」
 東京工業大学講堂において全キャン連のこれまでの準備のつかれをいやし、明日の本番へ向かっての激励を兼ね、全キャン連主催で行った。あて振りコンテスト、かくし芸大会、東工大ジャズ研よるバンド演奏、キャンディーズへの激励文を書いたりの盛りだくさんの内容。本番よりすごい人じゃないかと思われる程の興奮度であった。

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51年10月11日 国技館カーニバルVOL2
 これについては何も書けない程、情報が伝わっているのであまり詳しくは記さないことにしたい。とにかくすごかったのである。前年より数倍の興奮度であった。前年のラスト曲プラウドメアリーを頭にもってくる演出は、VOL1とVOL2のカーニバルが一つの糸でつながり、ファンの意識をさます効果的な方法であった。さよならのないカーニバル、めざめ、ダンシングジャンピングラブ、など名曲を生んだ。ファンにとってもキャンディーズにとっても、カーニバルは不可欠の要素なのである。今年もそれ以上のものを期待したい。
51年10月11日 みごろ!食べごろ!笑いごろ!始まる。
 話題のバラエティショーであるこの番組の中でも特筆すべきはキャンディーズのコミカルな面、ステージ、芝居におけるプロとしての力量など、すべてを一時間の中で見せている所にある。そのすべてをキャンディーズは完璧に成しとげ一部分たりとも不安はない。コント、歌、芝居すべてに満点なのだ。キャンディーズの成長を新ためて感じさせる番組である。
51年12月25日 中野サンプラザ76年さよならコンサート。
 翌27日大阪フェスにおいて同じステージを行う。ファンへのお礼を込めたショー構成であった。


※キャンディーズタイムズ 1977年3月10日 第6号 より転載


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Last-modified: 2012-03-16 (金) 16:30:42 (1984d)