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人気アイドルグループ「キャンディーズ」の「スーちゃん」として親しまれ、21日に乳がんのため亡くなった女優・田中好子(本名・小達好子)さん(享年55歳)の通夜が24日、東京・南青山の青山葬儀所で営まれ、関係者、ファンら約2400人が参列した。元キャンディーズで女優の伊藤蘭(56)、藤村美樹さん(55)も訪れた。最期をみとり、がん闘病を3年前から知らされていた伊藤は「もう一回だけ3人で会いたかった」と悲しみをこらえて語った。
人生を締めくくる祭壇が、最後のキャンディーズのステージとなった。



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21日に乳がんのために55歳で亡くなった人気アイドルグループ・キャンディーズの元メンバーで女優の田中好子さんの通夜が24日に東京・港区の青山葬儀所で営まれる。他のメンバーで女優の伊藤蘭(56)と、83年に芸能界を引退した藤村美樹さん(55)も通夜と25日の葬儀・告別式に参列。78年の解散後、一度も公の場では揃わなかった3人が悲しい形で揃うことになった。
ラン、スー、ミキ。ファンがずっと待ち望んでいたはずの3ショット。
立場は変わっても友情は変わらず、交流は続いていたが、解散後は3人が表舞台で同時に姿を見せることは一度もなかった。33年ぶりのキャンディーズ揃い踏みが、田中さんとの最後の別れの場で実現するという痛ましい結果になってしまった。

1.平成23年4月21日 訃報 国際医療福祉大学三田病院

田中好子さんが息を引き取ったわずか3時間半後、夫の小達一雄さんが国際医療福祉大学三田病院で緊急記者会見を行った。

本日午後7時4分、妻、田中好子が永眠しました。
(死因は)乳癌です。
平成4年に乳癌を発症しました。その後は穏やかに過ごさせていただいたのですが、この度再発、多臓器に転移がありました。

−92年に行った治療の内容は?
非常に早く発見できたので、放射線治療を中心に行いました。乳房は温存しました。

−今回の転移の症状はあったのか?
とにかく症状がなく、なんとなく違和感があった。転移のステージも早かった。

−どんな治療をされましたか?
抗がん剤などはもちろんですが、いろんな治療に取り組んできた。僕は漢方とかを手に入れて、飲んでもらうようにしていた。

−容体が急変後はどのようなお気持ちでしたか?
とにかく頑張ってほしいという気持ちだった。

−再発を知って田中さんのお気持ちは?
当初の手術から5年以上経過していて、変な状態に入るとは思わなかった。ショックだったと思う。

−最初のがん治療後、再発は数回あったのか?
何度かありました。ただ、とにかく早期に発見できていた。そのたびに医師からも、転移はなく心配はないと言われていました。

−定期検診はどのくらいの頻度で受けていたんですか?
最初のがん発見のあとは、半年に1回。うまく症状をコントロールできれば年1回ほどだったと思うが、最近は少なくとも年に3,4回受けていたと思う。

−闘病中どうしてあげたかったですか?
治してあげたかった。

−どんな奥さんでしたか?
最高ですね。ありがたかったですね。とにかく全部ありがたかった。

−田中さんはどんなお気持ちだったと思いますか?
女優を続けたいと切に願っていたと思う。4月8日の誕生日を過ごしたのはとても喜んでいた。

−最後の会話は?
それは僕の胸にしまっておきたい。

2.平成23年4月22日

・通夜は24日、告別式は25日に東京青山葬儀所で行われる。と報じられた。
・生前、自らの最期について「私は日本のみなさんに愛していただいた。だから最期は(ひっそりではなく)みなさんに送ってほしい」という意向を家族に明かしていた。密葬や、関係者による葬儀・告別式ではなく、ファンも一緒に参列できる“お別れの会”のようなものを望んでいたもよう。会場ではキャンディーズ時代の曲や映像、映画などの出演作、写真などが飾られ、旅立つ田中さんをあたたかい雰囲気で見守ることになりそう。
・ファンも弔問できるよう葬儀所内に記帳台を設けることも検討中。スーちゃんに最後の別れを告げようと、全国から多くのファンが訪れる可能性があるため、その対応を考えている。
・祭壇を手掛けるのは、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」以降、故今村昌平監督の美術監督を務めているスタッフになる予定。
・伊藤蘭さんと尾身美樹さんが25日の葬儀・告別式で弔辞を読むことが決まった。

※その他情報を御存知の方は情報提供をお願い致します。

3.平成23年4月23日 東京青山葬儀所

スーちゃんと親しまれた田中さんの早すぎる死を悲しむように時折激しい雨。同葬儀所では急ピッチで祭壇が設置された。

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※その他情報を御存知の方は情報提供をお願い致します。

4.平成23年4月24日 通夜 東京青山葬儀所

・好子さんの遺体はこの日、高齢の父親が暮らす都内の実家に帰った後、昼過ぎに斎場入りした。
・棺には家族が思い出の品を納めた。
・戒名は春芳院妙純日好大姉(しゅんぽういんみょうじゅんにっこうだいし)となる。
・式が始まるまでソロアルバム「好子」をBGMとして流していた。

時刻式次第内容
午後6:00喪主挨拶御多忙中にも関わらず、亡き妻 女優・田中好子 本名 小達好子 の通夜にかくも多くの方に御集まり頂きました。
衷心より御礼を申し上げます。
好子も本当に感謝していると思います。

昭和31年4月8日 父 田中幸治 母 たけ の一男二女、三人兄弟の次女として生を受けて以来、平成23年4月21日までの55年間は決して長過ぎる人生ではなかったかも知れませんが、最愛の友 伊藤蘭さん、藤村美樹さんに巡り会う事ができ、キャンディーズ時代、女優時代と本当に充実した時を送らさせて頂きました。

すべてが好子を愛してくださったファンの皆様、そして関係者、御友人の御厚情の賜物と心より感謝を申し上げます。

本人の最後の望みは女優を続けたい、復活したい、御世話になった皆様に恩返しをしたい。で、ありました。

女優・田中好子の第一章は残念ながら幕を下ろしましたが、第二章を再び御世話になりました皆様の御厚情を受けながら何とかスタートさせてあげたいと思います。
その日が早く来ることを信じながらも喪主の挨拶と代えさせて頂きます。

本日は本当にありがとうございます。

読経
在家日蓮宗浄風会の導師により読経

焼香参列者焼香
親族、一般参列者(伊藤蘭、尾身美樹から故人に縁の深い方から)、ファン参列者の順に焼香を行う。
この時、15分ほど大粒の雨が降った。
午後7:00通夜終了

※式次第の時刻について御存知の方は情報提供をお願い致します。

4-1.通夜の弔問客数

通夜には著名人1600人とファン800人の計2400人の弔問客が訪れた。

4-2.伊藤蘭さん 焼香後の取材内容

21日に最期を看取ったときの状況を「ただただ、名前を呼び続けた」と、涙ながらに語った。

−余命が短いと聞いていた?
そういう風には聞いていなくて。今回体調が急に悪くなって病院に行かれた、と…

−急に悪く?
昨年10月に3人で会う約束をして、あとは時間を決めるばかりだったけど、急にそれがかなわなくなったと知らせが来て。それからずっと美樹ちゃんと心配していたんです…。年が明けてからも3人で会うことはかなわないままでした。

−最期を看取ることはできた?
はい。私たちはただただ名前を呼び続けていました。

−話は十分できた?
もう1回だけ3人で会いたかった。ずっと一緒にそばで年を重ねていきたかったです。

−3人を結びつけていたものとは?
お互いに10代のころからの付き合いで、楽しい時も苦しい時もたくさんの時間を共有してきたことです。

−田中さんに、どんな言葉をかけたい?
長い間の闘病だったので、今はゆっくり休んでほしい。

−25日の葬儀では美樹さんと「お別れの言葉」をどう送る?
『ここで私たちが泣いてばかりにならないようにしようね』って、『頑張ろうね』って話し合いました。

−ここでキャンディーズが揃うのは辛い?
はい…。

−病気のことはいつ打ち明けられたのか?
スーさんの口から打ち明けられたのは、3年前。治療をしているということでした。『大変、頼りになるお医者さまがついているので、ぜんぜん大丈夫なのよ』と。初めて聞いたときはショックでしたが、本人に逆に励まされてしまった。去年の10月に、3人で連絡をとって、(会う)時間を決めるばかりでしたが、それがかなわなくなってしまって…。それからずっと、美樹さんと心配していたんですが、3人で会うことは、かなわないままでした。

−最後に会ったのはいつ?
ちょうど1カ月前に、私と美樹さんに会いたいということで、『病室に来てほしい』と連絡があって。それから『週に一度行けたらいいね』と美樹さんと話して。会えない日もあったんですけど、体調によって3〜4回行きました。(病室では)楽しかったことばかり話していました。帰るのが嫌で…。美樹さんと2人で、『しっかりしようね』と励まし合っているんですが、日がたつにつれ、寂しくなります。

−田中さんはどんな存在だった?
一番年下で、甘えん坊だったけど、いつの間にか強くて、頼もしい大人の女性になっていた。3人は楽しい時も、うれしい時もたくさんの時間を共有できた。

−田中さんと何をやっておきたかった?
旅行に行きたかった。解散直後に行ったきりだったから。

−最期の日は?
21日に危篤の連絡を受けて、ご主人とご家族の気遣いがあって、私たちも家族と一緒だからと呼んでいただいた。最期まで、スーさんは頑張ってくれて、最期まで、一緒にいることができた。私たちはただただ、名前を呼び続けていました。あともう1回だけ、3人で会いたかった。まだそんなに実感がないので…。いつもふわっと隣にいてくれたぬくもりというか、空気感がずっと…。もっと、一緒にずっと、そばで年を重ねていきたかった。

5.平成23年4月25日 告別式 東京青山葬儀所

・式が始まるまでソロアルバム「好子」をBGMとして流していた。

時刻式次第内容
午前11:00読経
在家日蓮宗浄風会の導師により読経

午前11:25司会:弔辞 お別れの言葉 尾身美樹 様
午前11:26〜11:32弔辞
弔辞

スーさん、何でそんなに早く逝っちゃったの?

おばあさんになるまで恒例の集合写真をたくさん撮りたかったのに。スーさんがいないなんて寂しいよ。
数年前、スーさんから癌と聞かされたときは本当にショックでした。
でも、「信頼できるお医者様が付いているから大丈夫」といってそのことを前向きに受け止めていて、私たちを一時、安心させてくれましたね。

その後も、会うたびに変わらぬ笑顔でいつも決まって深夜遅くまでお菓子を食べ、お茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。心から楽しかった。
三人プラス豊さんとの、あの晩、あの時をずっと忘れないよ。

家族や周りの人には心配を掛けたくないとの思いで病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、本当によく頑張りましたね。
スーさんのことだからすごく辛い時にも優しい心配りで、周りの人たちを和やかにさせ、その場の雰囲気をパーッと明るく変えたのではないかと想像できます。

最後まで頑張り通したスーさん。
惜しくも亡くなる当日も本当によく頑張ってくれましたね。

ありがとう。

私も蘭さんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることが不可能な親族も、みんなが勢ぞろいし、スーさんを取り囲んでお話をしたり、代わる代わる声を掛けたり、手をさすったりしました。
その、柔らかい手の感触を今でも思い出します。

スーさんは一足先に天国へ行ってしまうけど、天国はそれはそれは素晴らしい所らしいですね。
スーさん、どうですか? おばあちゃんとおじいちゃん、かずちゃんやお母さん、雅子ちゃんにも会えましたか?

神様はこの世のお役目を果たした人をそちらへ呼んでしまうようです。
スーさんはもうお許しが出たのですね。これは神様からのプレゼントだってこと。新たな命をいただいて、そちらで幸せに暮らしてください。
どうやら私たちは神様からお許しがまだ出ないので、スーさんの分まで明るく前向きに一生懸命、誠実に1日1日を生きます。

私たちもいずれそちらへ行きますのでそれまで待っていてね。

また3人で歌いましょう。

本当にキャンディーズは楽しかった。
本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。
私たちは永遠にキャンディーズだからね。
おそろいのものも大切にするよ。
ありがとう。スーさん。

愛してるよ。

平成23年4月25日

美樹

午前11:33司会:弔辞 お別れの言葉 伊藤蘭 様
午前11:34〜11:39弔辞
弔辞

スーさん、あなたが旅立つとき、1人で寂しくないように美樹さんと一緒にあなたの名前を何度も呼びました。
私たちの声はちゃんと届いていましたか。

時間が経つほどに、大切な人を失った悲しみと寂しさがこみあげてきて、今わたしたちはとても困惑しています。

お互いにまだ幼い中学生だった頃に出会い、キャンディーズというグループを通して喜びも苦しみも共に分かちあい、素晴らしい青春時代を過ごす事ができました。
スーさんはいつも春のように優しい微笑みで私たちを包み、和ませてくれましたね。
その後の女優としての活躍は言うまでもなく、いい仕事をたくさんして、多くの人たちに感動を与えてくれました。

身体のことを打ち明けられたときは、なぜスーさんが?、と、悔しい気持ちで一杯でした。
本当は辛いはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」と言って、明るく楽しい時間を過ごし、反対に私たちの方が励まされていたような気がします。

3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつの間に強く、頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かされました。
お見舞いに行った時も、体調が思わしくないにも関わらず、私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない、本当に可愛いスーさんでしたね。
愛情一杯のご主人、一雄さんや、スーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そして、いつも側に寄り添っていたマネージャーの丸尾さんのお気持ちを思うと、とても胸が痛みます。

私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い、立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。
それを支えに、何とか頑張って生きていかなければと、自分に言い聞かせています。
どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。

ただ、もう一度だけでいいから3人で会いたかったです。
約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。
だから今はまだ、「さよなら」は言わずにおきますね。

いつか会えるときまで、もう少しだけ待っててね。
これからは今までの心配や不安から解き放たれて、どうかゆっくり休んでほしいと思います。

ミキさんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。
ありがとうスーさん。

ずっとずっと愛しています。

平成23年4月25日

伊藤蘭

午前11:40読経
在家日蓮宗浄風会の導師により読経 続き

焼香参列者焼香
親族、一般参列者(伊藤蘭、尾身美樹から故人に縁の深い方から)、ファン参列者の順に焼香を行う。
司会:最後のお別れの言葉 喪主 小達一雄 様
喪主挨拶
本日は御多忙中にも関わらず亡き妻 女優・田中好子 本名 小達好子 の葬儀・告別式にかくも多くの方に御集まり頂きました。
謹んより御礼申し上げます。
好子も本当に感謝している事と思います。

好子は昭和31年4月8日 東京都足立区梅田○-○-○にて田中幸治、たけ、一男二女 三人兄弟の次女として生を受けました。
城北幼稚園、千住第5小学校、足立区立第4中学校に学び、おばあちゃん子だった好子はバレエを習いたいと申し出ますが「日本人が足など上げるものではない。」と反対され民謡を習う事になりました。
それが歌との出会いでした。

中学1年の頃には歌手に対する憧れが出てきまして、誰にも知らせる事なく東京音楽学院に入学し、そこで劇的な出会いをしました。
伊藤蘭さん、藤村美樹さんです。

NHK歌謡グランドショーのマスコットガールとして選ばれた三人は、キャンディーズとして歌手デビューを果たしました。
その後、日本歌謡史を変えて行く数々の大ヒットを生み出した事は、決して記憶に古くはないと思います。人気の絶頂の最中、突然の引退宣言。そしてその後、日本女性初の野球場による引退コンサートと、そのすべてが日本国民のハートを強く揺さぶりました。
歌手引退後、最愛の弟を骨肉腫で失います。
その看病の最中、彼から一言。「お姉ちゃんの活躍する姿をテレビで見たいよ。」という呼びかけに応え、24歳にて女優として復活させて頂きました。

慣れない女優の仕事ゆえ、最初は戸惑いもありますが、初主演ドラマ「虹子の冒険」にて私の妹である夏目雅子と知り合い、後に私との縁に繋がりました。

その後は仕事にも恵まれ、平成元年に公開された映画「黒い雨」ではアカデミー、ブルーリボン、キネマ旬報賞をはじめ多くの最優秀主演女優賞に輝く事ができました。
またドラマにおいては平成6年「家なき子」安達祐実さんの母親から始まり「ちゅらさん」の国仲涼子さんが22男25女、合わせて47人の子供に恵まれ、日本のお母さんという大変ありがたい御言葉を賜る事ができました。
好子は、そのすべての子供さんを心の底より愛していました。
また、それらの方々からは実の母親のように接して頂きプライベートでも多くの時間を御一緒させて頂きました。
充実した時間を送っていました。本当にありがとうございます。

順調であった仕事とは裏腹に平成4年、乳がんが発症、幸いにも早期に手術ができました。
その後、穏やかに生活を続けさせて頂きましたが平成22年10月に十二指腸潰瘍を発症後、そのコントロールがままならぬまま平成23年2月に癌が再発。ラッシュという状態となってしまい医師団の懸命な努力にも関わらず、手術後本当に、本当に頑張ってくれましたが、最愛の父、また最も愛した友、蘭さん、美樹さん、そしてすべての家族に見守られる中、平成23年4月21日 午後7時04分 帰らぬ人となりました。

短くはなかった闘病期間中に最高の医療技術環境を提供し続けてくださった国際医療福祉三田病院理事長 高木邦格様には心の底から御礼を申し上げます。
高木様の御支援が好子の生きる糧でした。

好子の最後の望みは女優を続けたい、復活をしたい、御世話になった皆様に恩返しをしたい。でありました。
女優・田中好子の第一章は残念ながら幕を下ろしましたが、第二章 第一幕を今、本日今日、スタートさせてあげたいと思います。

好子さん、いきますよ。

田中好子 第二章 シーン1 テイク1 ヨーイ!

田中好子肉声テープ
こんにちは、田中好子です。

今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような… 破裂するように痛み
ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めと思っています。

今日お集まり頂いている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。

キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間、御世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。
心の底から感謝しています。

特に蘭さん、美樹さん ありがとう
二人が大好きでした。

映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

いつの日か、義妹・夏目雅子のように支えてくださった皆様に社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。

カズさん よろしくね。
その日まで、さようなら。

喪主挨拶続き
(好子…)カット! OK!!

必ず、必ず復活させ、皆様の元に再び送り届けます。
どうか、その日まで待っててやってください。

本日は、そして本日まで本当にありがとうございました。

午後1:00親族、一般弔問客による棺に花を入れる最後のお別れ
10分の予定を大幅に上回り40分となった。
蘭さんと美樹さんは棺を閉じるまで好子さんに寄り添っていた。
午後1時20分 千葉、茨城で竜巻を伴う突風雨が発生し、その雨雲の余波で式場上空に突如黒い雲が広がり15分にわたり大粒の雨が降った。
午後1:40告別式終了司会:出棺の時刻となりました。これを持ちまして故田中好子 春芳院妙純日好大姉の葬儀・告別式を終了致します。

※喪主挨拶中にある好子さんの実家の住所について、今更という感じはありますが個人情報となりますので伏字にしています。
※式次第の時刻について御存知の方は情報提供をお願い致します。

5-1.平成23年4月25日 出棺 東京青山葬儀所

・午後2:04 出棺となる。

出棺の青い紙テープ.jpg

・霊柩車が斎場を出る前には、再び青空が広がっていた。
・デビュー曲「あなたに夢中」が葬送曲として流れる中、1978年、後楽園球場での解散コンサート同様、ファンたちが田中好子さんのイメージカラーである青い紙テープ300本(日本キャンディーズ協会が200本用意)を投げ入れ、スーちゃんコールで見送った。
そのまま品川区の桐ヶ谷斎場に運ばれ荼毘に付された。

・東京青山葬儀所の平面、式場内の配置および弔問客の焼香の流れ、出棺のルートは以下のようになっておりました。

青山葬儀所平面図.jpg


5-2.告別式の弔問客数

通夜に続き、葬儀・告別式にも多くの芸能関係者やファンら2200人が参列した。

6.主な参列者(有名人、著名人)

伊藤蘭、尾身美樹、仲代達矢、津川雅彦、高橋英樹、松平健、伊東四朗、堺正章、片岡鶴太郎、林家正蔵、岸部一徳、佐藤B作、三宅裕司、野口五郎、つのだ☆ひろ、松崎しげる、国仲涼子、綾戸智恵、別所哲也、鈴木京香、渡辺裕之、赤井英和、森公美子、岩崎宏美、佐野史郎、山田孝之、菅野美穂、山田優、北川景子、志田未来、杉浦太陽、上地雄輔、向井理、石川ひとみ、宮地真緒、金石昭人・陣内貴美子夫妻(以上タレント)、大里洋吉(元キャンディーズマネジャー、アミューズ相談役名誉会長)、井澤健(渡辺プロダクション相談役)、渡辺喜美衆院議員、黒岩祐治神奈川県知事、北島康介、鳩山由紀夫前首相、鳩山邦夫元総務相、酒井政利(プロデューサー)、湯川れい子(作詞家)、藤島親方(元大関武双山) (順不同、敬称略)

※その他参列者について御存知の方は情報提供をお願い致します。

7.葬儀・告別式で一般及びファン弔問客への配布物

 1.御芳名カード(記帳カード)ファン用

御芳名カード.jpg

 2.田中好子 あゆみ

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 3.お礼の言葉(香典を出された方のみ)

お礼の言葉.jpg

 4.戒名しおり(香典を出された方のみ)

戒名しおり.jpg

 5.香典返し (香典を出された方のみ)

香典返し.jpg

・この商品は以下の方法で購入する事もできます。

 商品名 スペシャルクッキーズ A-100 200g 税込み価格 1,050 円

 1.店頭購入
 2.フリーダイヤル 0120-86-5238 (土・日・祝日休み)
 3.郵便
  〒102-0083 東京都千代田区麹町3-1 泉屋東京店
 4.泉屋東京店ホームページのオンラインショッピング
  http://www.izumiya-tokyoten.co.jp/index-frame.html

 6.お清め塩 (香典を出された方のみ)
  紹介するような物ではないので省略します。

8.今後の法要年月について

故田中好子の今後の法要について以下のようになっております。ファンとして個人で好子さんを偲び法要を営まれる方、ご利用ください。
尚、この法要年月表は関東圏を基本としています。法要年月は地方、地域の風習、習慣等で異なる場合がありますので注意してください。
また、関西では死亡前日から数えることもあるようです。また、宗旨宗派、僧侶によっても違いがあるようですので、個人で法要をする際には御自身の地域の宗旨宗派、習慣等について確認をお願い致します。

法要年月法要名行う時期備考
2011年4月21日(木)命日亡くなった日
2011年4月27日(水)初七日忌死後7日目
2011年5月4日(水)二七日忌死後14日目
2011年5月11日(水)三七日忌死後21日目
2011年5月18日(水)四七日忌死後28日目
2011年5月25日(水)五七日忌死後35日目三十五日忌
2011年6月1日(水)六七日忌死後42日目
2011年6月8日(水)七七日忌死後49日目四十九日忌(忌明け)
2011年7月29日(金)百か日忌死後100日目
2012年4月21日(土)一周忌死後満1年目
2013年4月21日(日)三回忌死後満2年目
2017年4月21日(金)七回忌死後満6年目
2023年4月21日(金)十三回忌死後満12年目
2027年4月21日(水)十七回忌死後満16年目
2033年4月21日(木)二十三回忌死後満22年目
2037年4月21日(火)二十七回忌死後満26年目
2043年4月21日(火)三十三回忌死後満32年目忌い上げ
2047年4月21日(日)三十七回忌死後満36年目
2060年4月21日(水)五十回忌死後満49年目

9.祭壇について

スーちゃん祭壇2.jpg

祭壇は映画「黒い雨」(今村昌平監督)の美術監督、稲垣尚夫氏(54)が手掛けた。「ショーステージをイメージした」階段状の花々の中央に、ファン向け卓上カレンダー用に2、3年前に撮られた遺影をセット。遺影の周りには青いデルフィニューム(飛燕草)や水仙、黄、白、ピンクの鮮やかなバラなど洋花を飾った。
キャンディーズ時代の田中さんのイメージカラーだった青に合わせ、斎場には青い絨毯が敷かれ、遺体は青い棺におさめられた。

10.田中好子主演の新作映画の構想について

4月に乳がんのため亡くなった女優・田中好子さんの最後の主演映画「0からの風」(07年公開)の追悼上映が1日、都内で始まり、出席した塩屋俊監督が田中さん主演の新作映画の構想があったことを明かした。「0から〜」は、息子を加害者が飲酒運転の交通事故で亡くし、刑法の厳罰化に向け立ち上がる母親を描いた作品。撮影中から田中さん主演の次作の台本を執筆し、本人にも構想を伝えていたそうで、田中さんは大きな笑みを浮かべていたという。監督は「彼女は映画界の宝。やりたい作品があったが彼女ありきなので封印します。天国で会えたら撮りたい」と無念の思いを語っていた。

11.出典、参考文献

・東京青山葬儀所HP
・産経新聞     4月21日 22:53配信
・産経新聞     4月21日 22:54配信
・産経新聞     4月21日 22:55配信
・産経新聞     4月22日 0時0分配信
・産経新聞     4月24日 20時6分配信
・産経新聞     4月24日 23時24分配信
・産経新聞     4月25日 11時51分配信
・産経新聞     4月25日 12時17分配信
・産経新聞     4月25日 15時5分配信
・産経新聞     4月25日 17時17分配信
・毎日新聞     4月21日 22時54分配信
・毎日新聞     4月21日 22時55分配信
・毎日新聞デジタル 4月24日配信
・毎日新聞デジタル 4月25日配信
・シネマトゥデイ  4月22日 0時16分配信
・サーチナ     4月22日 9時20分配信
・サーチナ     4月22日 11時2分配信
・RBB TODAY    4月22日 19時2分配信
・デイリースポーツ 5月2日 9時5分配信
・デイリースポーツ 4月21日 22時47分配信
・デイリースポーツ 4月22日 9時15分配信
・デイリースポーツ 4月25日 9時23分配信
・オリコンライフ  4月22日 10時05分配信
・オリコン     4月24日 20時12分配信
・オリコン     4月28日 10時0分配信
・デイリースポーツ・オンライン 4月26日
・東京中日スポーツ 4月22日版
・スポーツニッポン 4月22日版
・スポニチアネックス 4月4日配信
・スポニチアネックス 4月22日 7時2分配信
・スポニチアネックス 4月22日 7時7分配信
・スポニチアネックス 4月22日 7時14分配信
・スポニチアネックス 4月22日 7時26分配信
・スポニチアネックス 4月25日 6時47分配信
・スポニチアネックス 4月26日 7時3分配信
・スポニチアネックス 4月26日 7時4分配信
・スポーツ報知   4月26日 8時4分配信
・スポーツ報知   4月26日 6時1分配信
・スポーツ報知   4月26日 6時0分配信
・スポーツ報知   4月25日 6時5分配信
・サンスポコム   4月21日 22:54配信
・サンスポコム   4月22日 05:05配信
・サンスポコム   4月22日 10:49配信
・サンスポコム   4月26日 05:01配信
・サンケイスポーツ 4月22日 7時52分配信
・サンケイスポーツ 4月23日 7時52分配信
・サンケイスポーツ 4月25日 10時58分配信
・サンケイスポーツ 4月25日 11時1分配信
・サンケイスポーツ 4月26日 7時52分配信
・サンケイスポーツ 5月1日 7時51分配信
・夕刊フジ     4月25日 16時57分配信
・夕刊フジ     4月26日 16時56分配信
・NEWS ポストセブン 4月23日 16時5分配信
・NEWS ポストセブン 5月2日 7時7分配信
・まんたんウェブ 4月24日 22時9分配信
・まんたんウェブ 4月25日 11時5分配信
・まんたんウェブ 4月26日 6時59分配信
・Wikipedia
・法要日程表自動作成


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Last-modified: 2011-06-26 (日) 13:04:15 (2220d)