全国キャンディーズ連盟(ぜんこく キャンディーズ れんめい)とは、70年代に活躍したアイドルグループのキャンディーズの私設ファン団体である。
略称は「全キャン連」。
キャンディーズ解散後は事実上消滅していたが、解散30周年を記念するイベント「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」の主催者として復活した。 更に、同年5月に新たなメンバー構成によって再スタートした。


1.概要

このグループは、1975年10月19日 蔵前国技館(東京)で開催されたコンサート、「キャンディーズ10000人カーニバル」を主催した「キャンディーズ・カーニバル実行委員会」が母体となっていると伝えられている。 キャンディーズタイムズ 1976年7月10日発行 第3号に「全国大学キャンディーズ連盟を結成しよう!」という呼びかけが掲載されたのを機に、この実行委員会がシフトして「全国大学生キャンディーズ連盟」が発足したものと推測され、1976年10月11日の蔵前国技館カーニバルV0L2(東京)において「全国キャンディーズ連盟発会式」を行い、この後全国規模で発展してゆく。
全キャン連は入会費、年会費等を会員から一切徴収しておらず会員証や印刷物等の肝心な組織自体の運営費はどこから湧いて出てきたのか、活動拠点はどこなのか、組織の全体像も含めて未だに謎の部分が多い。
キャンディーズ解散時においては推定3万人以上の会員(卒業アルバムの松山正明氏寄稿文によれば、同誌が出版される時点で会員数は3万を超えるとある。)がいたとされるが、会員名簿をきちんと作成した支部は少ないと推測されることから全キャン連全体の実際の会員数は不明である。しかし、このような全国規模の草の根型私設ファンクラブを持ったアイドルはキャンディーズが最初であり、アイドル全体として見た場合でも稀代な組織力を誇る最も成功した私設ファン団体である。

2.歴史

もともと、渡辺プロダクション友の会キャンディーズファンクラブ内には自発的に結成されたグループがあり、全国各地域に点在して、それぞれ○○支部と称していた。
キャンディーズの場合、その中心となっていたのは東京支部で1974年春に結成されている。 その当時、ファンクラブ全体の会員数は500名程度であった。

1975年2月に発売された「年下の男の子」が大ヒットし、ファンクラブ会員が激増。 東京支部の会員だけでも1000人を超過し、関東支部と改名して1975年12月から独自の会報「キャンディーズ タイムス」を発行するようになる。

全キャン連とは、これらのファンクラブ各支部会員をはじめ、非会員も含めたメンバーで構成されていたものであるが、かつての支部会員には「自分は全キャン連ではなかった」と証言する人もいる。 また、渡辺プロ友の会キャンディーズファンクラブ以外に、私設団体でスーパーキャンディーズというグループが存在した。(キャンディーズの楽曲であるスーパーキャンディーズは後発) 同年末には既に活動をしており、友の会に対しては敵対心のようなものを抱くメンバーも居た。 主に一般ファンと同様の活動ではあったものの、バイクでキャンディーズの乗ったクルマを追跡するなど、過激な行動をする者がいたため友の会側からは問題視されていた。 しかし、全キャン連はスーパーキャンディーズを排除するどころか好意的に受け入れ、紆余曲折はあったものの事実上は発展的吸収されたようだ。

3.組織体制

全国キャンディーズ連盟会員カード

全キャン連会員証.jpg

1977年7月の第6期全キャン連集会の来場者に配られたものである。

全キャン連の組織体制は以下のようである。
[キャンディーズタイムズ 1978年1月10日発行 第11号]に、8地方支部の会員証が完成したとの記述があります。
もちろん、それ以前から独自に会員証を発行していた支部もあったはずであるが、78年になって全支部の足並みを揃えた形の発行となった。

支部推定管轄会員証
北海道支部北海道全域
全国キャンディーズ連盟北海道支部会員証.jpg
東北支部青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島
全国キャンディーズ連盟東北支部会員証.jpg
関東支部東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城、神奈川、山梨
全国キャンディーズ連盟関東支部会員証.jpg
中部支部長野、岐阜、静岡、愛知、三重
全国キャンディーズ連盟中部支部会員証.jpg
北陸支部新潟、富山、石川、福井
全国キャンディーズ連盟北陸支部会員証.jpg
関西支部大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山
全キャン連関西支部会員証.jpg
中国・四国支部鳥取、島根、岡山、広島、山口
全国キャンディーズ連盟中国・四国支部会員証.jpg
九州支部福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄
全国キャンディーズ連盟九州支部会員証.jpg

※関西支部会員証をお持ちの方は情報提供をお願い致します。
※広島支部から中国・四国支部に改名した事実があるか御存知の方は御連絡をお待ちしています。
※これ等各支部を統括していたトップや連絡系統や組織情報を御存知の方は情報提供をお待ちしています。

4.活動

全キャン連は私設ファンクラブであるにも関わらず、渡辺プロダクション公認の「友の会」以上の活動を展開してキャンディーズはもとよりプロダクションサイドからも絶大な信頼を得てオフィシャルと言っても過言ではない組織活動を実施していた。

4-1.バスツアー

buss.jpg

全キャン連はキャンディーズのコンサートをバックアップするため関東と関西からそれぞれバスツアーを企画し、キャンディーズのコンサートと共に移動していた。ツアー会社は主に近畿日本ツーリストを利用していた。

年月日イベント名定員人数参加費スケジュール
1978.03.21ありがとうカーニバル名古屋10011,50021日AM8:00東京新宿西口発→PM14:00名古屋着→PM18:00開演→PM22:00名古屋発→22日早朝東京着

※その他バスツアー情報を御存知の方は書込みをお願い致します。

4-2.コンサートの企画運営

1975年10月19日 蔵前国技館(東京)で開催された「キャンディーズ10000人カーニバル」の主催はもとより、全国各地のコンサートに運営や会場警備等としてキャンディーズのコンサートをバックアップしていた。
※その他支援情報を御存知の方は書込みをお願い致します。

4-3.集会から見た全キャン連の展開

全キャン連は定期的に全国各地において会合を実施して活動方針、応援体制、応援コールの伝達、会員との意見交換など行って組織としての統一化を目指していた。ここでは「全国大学キャンディーズ連盟」のさらなる母体からF.C機関紙等で確認できる情報を中心に、その過程を時系列に見てみる。

年月日支部集会場所内容
1974.05.31東京支部キャンディーズが「メイツ」初出演
ここで顔馴染になったファン同志が結束し、友の会ファンクラブとは別に東京支部を結成する。
都内25の私立大学の親睦団体リーガースインのアイドル歌手に選ばれ、これを記念して大学生が中心となり東京の蔵前国技館でキャンディーズ・カーニバルを開催する運びとなる。
1975.09.01蔵前国技館前キャンディーズカーニバル実行委員会発足と全国に各支部が発足する。
関西支部、中国・四国支部、九州支部、東北支部、北陸支部、中部支部
1975.10.19蔵前国技館第1回蔵前国技館カーニバル開催
1976.02.28関東支部第1回関東支部総会開催 参加者数300
1976.04キャンディーズタイムズを関東支部機関紙から全国支部機関紙として発刊する事を決定する。実際に全国支部機関紙として発行されたのは1976.05.10第2号からであった。
1976.05.22関東支部代々木オリンピック記念青少年総合センター第2回関東支部総会&テープコンサート
1976.05.23九州支部勤労青少年文化センター
PM13:00〜
第1回九州支部映写会
1976.07.10キャンディーズタイムズ第3号紙上にて「全国大学キャンディーズ連盟」の結成を呼び掛ける。
1976.07.18関西支部旧朝日新聞ビル
13F会議室
PM14:00〜19:00
第1回関西支部総会
関西支部の歴史や未来の方向、サマージャックにのぞむファンの心がまえについて
1976.08.25代々木オリンピック記念青少年総合センター全キャン連発足式 ファン400人が結集
1976.09.11ニッポン放送オールナイトニッポンにキャンディーズが「全キャン連」のメンバー数百名をスタジオに招いた。
この日が事実上カーニバルの旗上げとなる。
1976.09.18代々木オリンピック記念青少年総合センター全キャン連集会
1976.10.01全キャン連キャンディーズカーニバル前夜祭の会場が東京工業大学講堂に正式決定
1976.10.02代々木オリンピック記念青少年総合センター全キャン連集会
1976.10.10東京工業大学講堂全キャン連キャンディーズカーニバル前夜祭
1000人以上のファンが集結した。
1976.10.11全支部蔵前国技館10000人カーニバルV0L2開催
全国キャンディーズ連盟発会式
1977.01.15中部支部名古屋名演会館中部支部総会 参加者100人
1977.07全キャン連第6期総会
1977.08.07関東支部代々木オリンピック記念青少年総合センター全キャン連第7期総会 参加者数約1000人
全キャン連として解散に対する態度決定ということで3時間熱い議論が交わされ、白熱した討議から生まれた結論は「解散支持」であった。
1977.10.01東京科学技術館サイエンスホール
PM18:00〜
参加者数1000人
全キャン連が主体となって渋谷区道玄坂にキャンディーズ・カンパニーを発足する。
以後解散までキャンディーズ関連の全ての組織と全てのキャンディーズファンを統括していくことになる。
1977.10.02ニッポン放送ラジオ:オールナイトニッポン・ビバ・キャンディーズにて全キャン連が「ビバ・キャンディーズ宣言」を行う。
1977.11.20九州支部福岡市西区勤労青少年文化センター
PM13:00〜17:00
第1回九州支部総会 参加者数80人
それまでのファンクラブ九州支部九州サークルから全キャン連九州支部として新発足し、九州支部の説明、今後の活動方針の決定及びフィルムコンサートを行う。
この時点での九州支部は福岡サークルと長崎サークルで九州を管轄する。
1977.11.26関東支部千駄ヶ谷区民会館
PM18:00〜20:30
第11回全キャン連集会兼フィルムコンサート
1977.12.04中部支部東京音楽学院名古屋校
PM14:00〜16:00
中部支部総会 参加者数100人
カンパニー説明、中部支部説明、各県代表者活動の説明、リクエスト作戦、弁論大会(3名)等を行った。
1977.12.18北陸支部金沢市観光会館
第1〜3集会室
PM13:00〜17:00
北陸支部総会
会費:350円(当日受付にて)
12月20日 金沢公演について
78年 2月 4日 キャンディーズファンの集いについて、日比谷野音の8ミリ映写等を行った。
1978.02.11九州支部福岡市西区勤労青少年文化センター
小ホール
九州支部福岡サークル集会 参加者数180人
1978.04.04後楽園球場ファイナルカーニバルで全キャン連の全ての活動を停止し、解散する。

※「ビバ・キャンディーズ宣言」の全文を御存知の方は情報提供をお願い致します。 ※実際には1978.4.5以降に全キャン連とカンパニーの残務整理とギャラクシーへの移行作業が行われていたはず。このあたりの情報を御存知の方は情報提供をお願い致します。 ※その他集会情報を御存知の方は情報提供をお願い致します。

4-4.全キャン連の記録

全キャン連は先にも述べたように会員名簿は作成していないし、活動記録、通信記録等、全キャン連自体が記録するはずの内部資料というものが一切残されていない。その為外部(F.C会報、ビラ等)資料から「全キャン連」という実態そのものを推し量って行くしかないのだが、キャンディーズ解散に伴う活動の中でキャンディーズへの感謝の気持ちと全キャン連自らの唯一の記録としてレコードを製作し発売している。

レコード会社レコード番号タイトル唄・演奏作詞作曲発売日価格
アングラレコードCAN-01
(LM-062)
3つのキャンディー全キャン連スーパースペシャルバンド田中孝一/千明富男田中孝一1977.12.051000
CAN-02キャンディーズ解散宣言キャンディーズ1978.2非売品
東芝音楽工業TP-103593つのキャンディー全キャン連スーパースペシャルバンド田中孝一/千明富男田中孝一1978.02.05600

※アングラレコード版「3つのキャンディー」のレコード番号についてはCAN-01がキャンディーズカンパニーの番号でLM-062がアングラレコードの番号である。

「3つのキャンディー」は全キャン連からキャンディーズへ贈られ、その返歌として「つばさ」がキャンディーズから贈られた。

5.終焉

1977年7月17日、日比谷野外音楽堂で行われたコンサートでキャンディーズは解散を宣言。 本人たちは9月に解散と発表したが、スタッフ側との話し合いが持たれた結果、翌年4月に延期された。 ファンたちもキャンディーズの意思を尊重して解散を支持、「ありがとうカーニバル」と銘打った最終ツアーをサポートするため、全キャン連メンバーが精力的に活動した。
この際「キャンディーズ・カンパニー」がファイナルカーニバルを主催する立場にあったため、前述の最終ツアーのサポート、チケット販売も含めて結果的に全国のファンを統括するような組織活動を行っていた。

ここで活動していたスタッフはキャンディーズ解散後に「ギャラクシー」という会社を設立し、各地でフィルムコンサートなどを行った他、ビデオ、DVD制作も手がけた。

1978年4月4日、後楽園球場で「キャンディーズ・ファイナルカーニバル」が開催され、全キャン連もキャンディーズとともに活動を停止、解散した。

6.現在

キャンディーズ解散から30年を経過した2008年4月4日、後楽園球場跡地のJCBホールに於いて「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会 CANDIES CHARITY CARNIVAL」というフィルムコンサートが開催され、約2000人の観客が往時を懐かしんだ。 キャンディーズ本人は不参加であったが、当時のバックバンドだったMMPが演奏し、スクリーンに映し出されるライヴ映像にシンクロさせるという演出もあった。

大同窓会の成功によって熱い思いを抱く同士が集結し、全キャン連が新しいスタートをきった。 代表者 石黒謙吾と有志によって2008年5月、新たに「全国キャンディーズ連盟」が発足。 コンセプトは「Happy」「Positive」「Unity」=「楽しく、前向きに、連帯感を持って!」。 今後のイベント開催や、キャンディーズとファンが残した足跡を未来へ継承してゆくなど、様々な活動を企画している。

オリジナルロゴマークのモチーフは、ファイナルカーニバルでキャンディーズが着用していた最後の衣装にあしらわれていた「三色の」だという説もある。

7.出典、参考文献

・キャンディーズタイムズ 1976年7月10日発行 第3号
・キャンディーズタイムズ 1976年9月10日発行 第4号
・キャンディーズタイムズ 1976年12月10日発行 第5号
・キャンディーズタイムズ 1977年3月10日発行 第6号
・キャンディーズタイムズ 1978年1月10日発行 第11号
・全キャン連九州支部会報「あめんぼ」1977年12月号、1978年1月号
・全キャン連中部支部会報「爆走キャンディーズ」1977年12月号 No.1 1978年1月号 No.2
・全キャン連北陸支部会報「北陸キャンディーズ」1977年12月 創刊号
・キャンディーズFC関西支部会報「つばさ」1977年11月号 Vol.1 1978年2月号 Vol.4


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Last-modified: 2019-12-14 (土) 00:59:39