SUPER CANDIES (スーパーキャンディーズ)は、森雪之丞作詞/新田一郎作曲により、第一回
蔵前国技館キャンディーズ10,000人カーニバルでMMPがキャンディーズのために作った応援歌である。
10,000人カーニバル以降のコンサートでも演奏されキャンディーズのコンサートには欠かせない曲になっていた。
B面に「SEE YOU AGAIN CANDIES」が収録されている。
※その他情報を御存知の方は書込みをお願い致します。
1.曲目データ †
曲名(タイトル) | SUPER CANDIES |
発売日 | 1977年12月5日(月) |
作詞者 | 森雪之丞 |
作曲者 | 新田一郎 |
編曲者 | MMP & HORN SPECTRUM |
録音場所 | |
録音年月日 | |
録音方式 | 2ch ステレオ |
レコード番号 | (初回)06SH246 |
収録時間 | 3:32 |
JASRAC登録タイトル | SUPER CANDIES SUPER CANDIES |
JASRAC作品コード | 097-7296-1 |
楽曲権利者 | 森雪之丞、新田一郎、渡辺音楽出版株式会社 |
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※サンプル盤と製品盤のラベル
2.解説 †
MMPが初めてキャンディーズのサポートをしたのは1975年8月26日の日劇ウエスタンカーニバルからで、
それまでの歌謡曲のコンサートはフルバンドがバックを務めるのが普通であった。
当時のマネージャー大里洋吉?は、この時一部の曲でロックバンドのMMPを起用したが、彼らの黒づくめにサングラスという不良っぽい外見が
キャンディーズの清純なイメージに合わないとファンの反感を買い「引っ込め!」などと罵声まで浴びた。
MMPも「女の子アイドルのバックなんて嫌だ」と後日リーダーの渡辺茂樹?が語っているようにキャンディーズのバックを務めることに消極的であったようだ。
それでも大里洋吉はMMPをキャンディーズのバックバンドに抜擢し、コンサートではロック、ポップス、ソウル…さまざまな外国曲を次々とレパートリーにしていく。
キャンディーズも専属バンドがついたという意識が、より一生懸命に音楽に取り組むようになっていく。
そんなキャンディーズのそのひたむきな姿がMMPを本気にさせ、1975年10月19日の蔵前国技館 第1回キャンディーズ・カーニバルの成功となって結実する。
大里洋吉の先見性がいかに優れていたか、キャンディーズとMMPの相性は抜群であった。
その中で作られたこの SUPER CANDIES はまさにキャンディーズ応援歌と呼ぶに相応しいものであった。この曲の人気とともにMMPとキャンディーズの絆も強くなっていきキャンディーズも言っていたように「私たちの仲間」という単にバックバンドとしてではなくお互いの信頼で結ばれた必要不可欠な存在になっていく。
1976年10月11日の蔵前国技館10000人カーニバルV0L2では、新田一郎ボーカルのスタジオ録音版のSUPER CANDIES をコンサート開演前のBGMで流していて第一部の全国キャンディーズ連盟発会式のあと同年11か12月頃にSUPER CANDIESが発売されると発表があったが、実際には発売されず1977年12月5日に西慎嗣のボーカルで発売された。
新田一郎がMMPを抜けホーン・スペクトラム結成時期と重なっていたために発売延期になったと思われるが、作曲者の新田バージョンが
お蔵入りになったのは非常に惜しまれる。
3.本当の作詞者は? †
1976年10月11日の蔵前国技館10000人カーニバルV0L2においてSUPER CANDIESの発売発表があった際に、一般のファンの男性が作詞者として表彰されるはずであったが本人が交通事故で入院していたため表彰式に出られず、小島一慶がキャンディーズに「表彰状を届けてあげましょう。」と言ってるので表彰状は本人に届けられたと思われる。
だが発売されたレコードの作詞者は森雪之丞となっている。なぜ?
4.この曲にまつわるエピソード †
・SUPER CANDIES (06SH246) と「わな」(06SH245) のレコード番号が連番で発売されて話題となった。
・1977年のサマージャック77'日劇千秋楽では西慎嗣と新田一郎のダブルボーカルで歌われた。
5.出典、参考文献 †