1.CDシングル †
2.CD選書 †
3.ベストCD †
4.CANDIES BIBLE キャンディーズ メモリアル・ボックス †
5.CANDIES HISTORY〜Best Selection BOX 1973〜1978 †
6.『PREMIUM-ALL SONGS CD BOX』生産限定盤 †
7.タイムカプセル †
8.タイムスリップグリコ「懐かしの青春メロディー」CDシングル †
タイムスリップグリコ青春のメロディーチョコレートは伊藤忠商事とのタイアップで60年代後半から80年代前半のヒット曲を8cmCDに収録し、全18曲+シークレット4曲を2粒のチョコレートのオマケに付けて300円で発売した。
北海道・東北から2003年6月3日に発売し、その後に関東・甲信越で2003年8月5日発売、 関西地方は10月21日に発売していた。
当時のシングルレコードのジャケットや歌詞カード、内袋、レーベル面、レコード溝までオリジナル通り忠実に再現していてグリコのオマケとしては高度な完成度の内容を誇り、大ヒットした企画商品であった。
またこの企画に便乗し、宝島社から「青春のメロディーCDフォルダ」が発売された。
24枚のCDが収納でき、当時の流行歌66曲のギターコード付きの歌詞と、歌手のプロフィールなどが掲載されていたのだが、このフォルダの登場で収集癖を見事に掻き立てられた人たちが競い合うように購入し、発売3カ月で350万個を出荷したのだから、グリコに貢いだ人たちの多さといったら…
しかもシークレットの「危い土曜日」だけ入手するのが非常に困難だったらしく、ウン万円をつぎ込んでも入手できなかった人もいたようだ。
「危い土曜日」は本当にあるのか? と言われていたほどの超レア度で、この一枚のためにフルコンプを目前にして挫折した人も多かった。
このシークレットの「危い土曜日」を一発で当てた人は強運の持主と言えるだろう。
シリーズNo1に「ハートのエースが出てこない」がピックアップされ「青春のメロディー」というイメージに相応しい曲であるというのは我々ファンとしても嬉しい限りである。
No | 001 |
種類 | 通常品 |
曲名 | ハートのエースが出てこない |
番号 | TDDD90328 |
ジャケット・CD |
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解説 | 1973年「あなたに夢中」でデビューしたキャンディーズは、ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤村美樹)、の3人からなるギャルズ・コーラスグループ。年下の男の子」「春一番」など次々とヒットを飛ばしトップアイドルの座についた。 「ハートのエースが出てこない」は75年12月リリースの8枚目のシングルで、オリコンチャートの11位まで上昇。当時、コンサートのオープニングによく歌われた。トランプで恋占いをしながら、彼の気持ちを確かめる女の子のハートを歌ったこの曲は、当時の純真な少年たちの心を震わせたものだった。TV番組レギュラー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」で伊東四郎や小松政夫と絡むシュールなコントやドリフの「8時だよ!全員集合」への出演などバラエティーの才能も発揮し、彼女たちのひょうきんな一面が人気をさらに加速させた。 グループの人気が頂点にあった77年、”普通の女の子にもどりたい”宣言。翌年、後楽園球場のファイナルコンサートで、”わたしたちは幸せでした”という言葉を残し、キャンディーズは4年と7ヶ月という短い活動にピリオドを打った。 この曲は「キャンディーズゴールデン☆ベスト」に収録されている。 |
No | 021 |
種類 | シークレット |
曲名 | 危い土曜日 |
番号 | TDDD90329 |
ジャケット・CD |
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解説 | 74年リリースの「危い土曜日」は、ファンの間でも初期の名曲とされる。知る人ぞ知る超人気ナンバーだ。 チャート的にはあまり振るわなかったシングルだが、そのためレア度も高い。初めてのアップテンポな楽曲で、森田公一によるリズム前ノリのサウンドに乗って、3人のハーモニーを全面的フューチャー。Aメロ・Bメロ・サビを貫いて、これでもかというハモリを聴かせる大胆なアレンジがノリを煽る。3人のハモリは従来のアイドルにない歌唱力を強烈アピール。土曜日に何かが起こりそうなドキドキ感を的確に捉えた安井かずみの詞も、スリリングなムードをいっそう高める。さらに、振り付けの激しさといい、「危い土曜日」というタイトルといい、アイドルの非日常的な”危険な感じ”をイメージさせるあたりも人気の秘密といえそうだ。 この時、ミキとスーは18才、ランは19才で、ジャケットを見ても分かるようにセンターボーカルをつとめていたのはスーだった。1年後「年下の男の子」が大ヒット、NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たして国民的アイドルとなる、そのブレイク前夜の初々しさを感じさせずにはおかない名曲である。 この曲は「キャンディーズゴールデン☆ベスト」に収録されている。 |
9.サントリー懐かしのCD †
「WHISKY&MUSICキャンペーン」実施
〜 懐かしのCD付きウイスキー限定発売 〜
〜 '70年、'80年代のヒットソングをおさめたCDが1本に1枚ついてくる 〜
サントリー(株)が「WHISKY&MUSICキャンペーン」として2004年5月25日(火)に全国一斉発売を実施したウイスキー限定商品である。
「WHISKY&MUSICキャンペーン」は、対象製品のウイスキー1本に、'70年代から'80年代にかけてヒットした名曲を8cmCD化した「懐かしのCD」が1枚もれなくついてくるというもので、この「懐かしのCD付き」ウイスキーは6月20日(日)の「父の日」に向けて発売。
父親世代はもちろん、若い世代も思わず口ずさむ懐かしいヒットソングを聴きながら、ウイスキーを味わっていただこうと全国のスーパー、量販店などで展開されたものである。
「父の日」以外のカジュアルな贈り物としても最適な企画商品であった。
対象製品 | 容量 | 希望小売価格(消費税別) | アルコール度数 | 梱包 |
ローヤル12年 CD付きパック | 700ml | 3,000円 | 43% | 1函12本入り |
リザーブ10年 CD付きパック | 750ml | 2,230円 | 43% | 1函12本入り |
オールド<マイルド&スムーズ> CD付きパック | 700ml | 1,510円 | 40% | 1函12本入り |
角瓶 CD付きパック | 700ml | 1,420円 | 40% | 1函12本入り |
膳 CD付きパック | 640ml | 1,200円 | 40% | 1函12本入り |
トリススクエア CD付きパック | 700ml | 910円 | 37% | 1函12本入り |
●懐かしのCDの収録曲
ここ数年、往年のアーティストのリバイバルCDや、青春時代の懐かしのブランドの復活など“古き良き昭和”の魅力が再評価されています。
1971(昭和46)年から1989(平成元)年までの間にヒットした楽曲を「ジャパン オールディーズ セレクション」として合計12曲ラインアップ、2曲ずつ6種類のCDシリーズとなっている。
セレクション(1) | '70年代前半 | 「17才」(南沙織)&「水色の恋」(天地真理) |
セレクション(2) | '70年代後半 | 「春一番」&「暑中お見舞い申し上げます」(キャンディーズ) |
セレクション(3) | '70年代後半 | 「いちご白書をもう一度」(バンバン)&「SACHIKO」(ばんばひろふみ) |
セレクション(4) | '70年代後半 | 「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)&「異邦人」(久保田早紀) |
セレクション(5) | '80年代前半 | 「悲しい色やね」(上田正樹)&「初恋」(村下孝蔵) |
セレクション(6) | '80年代後半 | 「フレンズ」(レベッカ)&「DIAMONDS−ダイアモンド−」(プリンセス・プリンセス) |
セレクションNo | 2 |
種類 | 非売品 |
番号 | TDDD90434 |
ジャケット・CD |
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曲名 | 春一番 |
解説 | 9枚目となるシングル。二度目のNHK紅白歌合戦で歌った大ヒット曲。 |
曲名 | 暑中お見舞い申し上げます |
解説 | 14枚目となるシングル。今でも定番の夏のイメージ一杯のヒット曲です。 |
10.セブンイレブン限定CDシングル †
2004年にセブンイレブンの限定企画、デビュー30周年記念でキャンディーズのシングルがミニCDとして復刻した。
同時期キャンディーズのフィギュアもあり「オマケ」としてビールなどにつけられ配布された。
が、このキャンペーン始まって数日でなくなってしまうほどで、今尚キャンディーズ人気の凄まじさがわかる。
このCDにはオリジナルシングルレコード盤のうち、片面分の1曲が収録されております。発売当時のジャケットを復刻したため、表紙には収録曲以外の曲名も表記されています。
もちろん非売品である。
ジャケット、レーベル | タイトル/CD番号 | 楽曲解説 斉藤貴志 |
| 年下の男の子 TDDD90486 | 75年2月21日発売の5枚目のシングルで、オリコン9位に入る初のヒット曲(それまでの最高は36位)。 頭をナデナデする振りが印象深い。この曲で、並びのセンターがスーからランに、最年長で一番色っぽいランが”年下の男の子”たちを参らせたのもヒットの一因だが、逆にいえば誰がセンターでもおかしくないのがキャンディーズの強み。3人組アイドルはメインの子以外は抱き合わせっぽいことが多いが、ソロでも十分行ける3人が組んだのだから売れるはずだ。 ブルーノートを多用したメロディは当時の歌謡曲では異例。もともとB面用で、穂口雄右氏が「だったら自由に」と書いたものだった。 |
| その気にさせないで TDDD90487 | 「年下の男の子」がヒットし、上昇気流にあった75年9月1日発売の第7弾シングル。 ソウルフルな曲調、ブラウスの3人が頭から水をかぶったジャケットが、ちょっとサプライズだった。この頃マネージャーが大里洋吉氏(後にサザンを擁してアミューズを設立)になり、ライブを重視する方針に。この曲の発売と共に、今はなき蔵前国技館での「キャンディーズ・カーニバル」の実施も発表された。25大学の学生たちが企画を持ちかけ、自主的に運営。 10月19日の当日は1万人が詰めかける予想以上の大盛況に。オープニングで3人が登場する際、バックで「その気にさせないで」が流れた。 |
| ハートのエースが出てこない TDDD90488 | 春先の「年下の男の子」のヒットから始まり、キャンディーズが大きくステップアップした75年も終わりに近づいた12月5日に発売。 揺れる乙女心を象徴したキャッチーなタイトルが秀逸だ。発売前には、NHK「紅白歌合戦」への初出場も決定した。もともと3人組としての初仕事がNHK「歌謡グランドショー」のマスコットガール。”甘くて食べてしまいたい感じ”とキャンディーズと名付けられたのも、この番組。 紅白の記者会見で向かったNHKのエレベータで、「グランドショー」の司会だった山川静夫アナに「良かったね」と声を掛けられ、3人は当時からの夢が実現した喜びを実感したという。 |
| 春一番 TDDD90489 | もともとは75年4月発売のLP「年下の男の子」の中の1曲として収録されていたナンバー。 洋楽風テイスト、当時としては極めて早いテンポなど、実験的色彩も。ファンの人気が高く、約1年後の76年3月1日に第9弾シングルになった。 5枚目の「年下の男の子」以降、着実に支持を集めつつも、それを超えるヒットは出せずにいたキャンディーズだが、この「春一番」はオリコン3位に入り、「年下の男の子」以上の大ヒットとなる。 勢いに乗って初のロング公演ミュージカル「春一番」、初の全国縦断コンサートを行うなど、76年の春、キャンディーズ人気は絶対的なものになった。ちなみにキティちゃんブームも起きていた春だった。 |
| 暑中お見舞い申し上げます TDDD90490 | 77年6月21日に発売。郵政省の暑中見舞いハガキのポスターにもキャンディーズが登場した。 同時期にはピンク・レディーの「渚のシンドバッド」も発売。9作連続オリコン1位という当時の記録を作る真っ只中で大ブームを起こし、キャンディーズのライバル視もされていた。 が、ピンクは低年齢層が支持基盤。ついでに言えば山口百恵は大人の支持が厚く、アイドルとして若者のハートを強くとらえていたのは、やはりキャンディーズだったのでは。 この曲のキャンペーンで行った朝霧高原へのバスツアーには、ファン1300人が参加、22台ものバスが連なった。そんな夏のツアー初日、あの引退宣言が突然飛び出す。 |
| アン・ドゥ・トロワ TDDD90491 | 77年7月、ツアー初日の日比谷野音公演の最後に引退宣言したキャンディーズ。 事務所と解散に向けて話し合いはしていたものの、あの場での発言は本物のハプニングだった。「普通の女の子に戻りたい」という言葉が一般紙でも大きく取り上げられ、キャンディーズが社会的注目を浴びる中、9月21日に発売されたのがこの曲。 「やさしい悪魔」に続き、フォークの大御所・吉田拓郎が作曲し、美しいメロディが3人のコーラスで際立つ。 拓郎本人のアルバムでも、”ばいばいキャンディーズ”のサブタイトル付きでセルフカバー。もともとキャンディーズを好きで、楽曲提供も引き受けたそうだが。 |
| わな TDDD90492 | 77年7月に突然「9月で引退します」と宣言したキャンディーズだが、CM等の契約、そして「やはり笑顔で送ってもらえるように」という本人たちの意志もあり、解散は半年先送りに。 12月5日発売の「わな」は初めてミキがメインボーカルを取ったが、ランとスーが事務所に「今度はミキを真ん中で」と掛け合ったとか。 有終の美へ、CBSソニーの担当プロデューサーは山口百恵らを手掛けた敏腕・酒井政利氏となり、作曲は前年5月発売の「夏が来た!」以来離れていた穂口雄右氏が担当。酒井氏は「キャンディーズは最近とても綺麗になりました。 もっと綺麗に見える作品を」と依頼、この大人っぽい曲ができた。 |
| 微笑がえし TDDD90493 | 78年2月25日発売の実質的ラストシングル。最初にして最後のオリコン1位、キャンディーズ最大のヒット曲となった。 今も女性3人組では「ちょこっとLOVE」(プッチモニ)、「めだかの兄弟」(わらべ)に次ぐ売上歴代3位。 ”笑ってお別れを”と作られたこの曲、阿木曜子氏による詩は「春一番」「やさしい悪魔」などシングルのタイトルが盛り込まれている。最後のコンサートは当初、日本武道館が考えられたが、4月4日に後楽園球場で行うことに。 いくら何でも球場では…との心配もよそに、チケットは2日で完売。5万人のファンが見守る中、キャンディーズは「私たちは幸せでした」との言葉を残し去って行った。 |
この解説は当時の世間一般、マスコミが書き立てていた内容を引用したようで、解散宣言を引退宣言と記述していたり、「やはり笑顔で送ってもらえるように」という本人たちの意志もあり〜
などと記述しているあたりに解散してから30年経った今でもキャンディーズのファンを大切に思う純粋な心が理解されていないと思うと残念でならない。